2016年09月22日

弱い自分と戦う暮らし。発達障がいのある家族と暮らすということ。

今日、久しぶりに上の娘とお買い物。
母親とお買い物しようと誘う娘は可愛くもあり
少し心配でもあり。
私は午前ずっと下の娘と一緒だったので
少し息抜きになりました。
娘とこんな事出来たらいいなぁ〜と夢のような話しをしながら、
まだまだ10年は無理かもと再認識。

帰宅してから
改めて思った。
多分一生無理だろう。

もっと仕事をバリバリやりたい。
お金も稼いで夢を持って生きて行きたいな。

でも、それは出来なくて。
毎日、毎日が綱渡りのように生きている。

お仕事のご依頼を受けて嬉しくて
私の出来る限りの事をしようと
予定が無かったらお受けしています。

その反面
夜になったら
今年限りで止めよう
そんな思いが頭をよぎります。

何を偉そうに講釈言っているんだろう
あんたの子はどの子もまだ独り立ち出来ていないよ!と
心の奥底から声が聞こえる


下の娘が発達障がいだとわかった頃
出逢った先生に言われた事
私たちのする事はこの子達がしっかりと社会に巣立つように手を貸すこと
ちゃんとした社会人に育てることだと。

企業就職が無理でも、施設でコツコツと仕事を頑張れる、そんな人になればいいと思っていました。
その事がこんなに難しい事だなんて本当に思っていなかった。
とてもとても難しい。
体は私より大きくなったのに。
心は幼稚園のままです。

身体は年をとって行く。
大きな幼稚園の子を毎日連れて歩き
生きてゆく。
終わるのはいつなんだろう。

時々今日にも終わらせたくなる。
そんな弱い自分と時々戦っている。

先日観た映画、泣けるような映画じゃないのに。
途中から泣けてしまった。
悪人達がいわゆる善人に利用されていく。
悪人には悪人達の正義と、それなりに愛と幸せを求めていきている。
ある意味とても気持ちに正直に生きている。
でも、社会には認められない。
なんだか障がいを持って生きている娘と重なってしまった。
彼女は彼女なりの正義があって、それは社会では認められないけど、彼女もまた、とても気持ちに正直に生きているのだ。

映画の中の違和感は私の持つ違和感と重なっている。


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